カテゴリ:雑記( 9 )

おくやみ

ヘレン・G・ブラウンさんが13日、お亡くなりになられた。
詳細は朝日新聞デジタル版 こちら
若かりしころ、仕事の立ち上げで、いろいろお力添えいただいた。
ご主人は数々の名画を世に送り出した、ハリウッドの名プロデューサー、デイヴィゥド・ブラウン氏。心細やかなご主人だった。
諸行無常とはいえ、やはり寂しさがつのる。
ご冥福をお祈りしたい。
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by tanatali3 | 2012-08-16 12:33 | 雑記

日本〇

ニューヨーク・JFKから成田、仙台空港へと乗り継いで、還暦祝いの同窓会に出席したのが2年前。その仙台空港が3.11の津波で飲まれる映像を目の前にして、胸の締め付けられる想いをした。

兄や親類縁者と連絡をとるなか、海辺に近い神奈川県・藤沢から両親の面倒を看るため、さらに海が眼と鼻の先の逗子に引っ越すという級友がいた。
ひとたび津波が押し寄せたら、高齢の両親を伴っての避難は大変だろうと、折り返しのメールに、“ライフ・ジャケット”を常備しては?と返事を書いた。

近くの海にカヤックに出かける際、いつも着用していることから浮かんだアイデアだ。
それほど高価なものでもなく、なんならペットボトルを差し込む、簡易ベストを手作りしてもいいだろう。

船舶や飛行機には救命胴衣の常備が義務付けられている。
日本は海に囲まれた世界有数の地震大国である。
国全体を大きな船と考えれば、沿岸地域は避難訓練や高い防潮堤の設置も大切だが、まずは“ライフ・ジャケット”の常備を推し進めるべきだろう。
特に子供たちの通う学校は、椅子の下なり、各クラスごとに“ライフ・ジャケット”箱を設置して、ひとたび津波警報が出たなら、まず“ライフ・ジャケット”を着用し、非難を開始する。
また役場や消防・警察はもとより、海辺に近い家庭や職場にもできる限り備えてほしい。
万が一、逃げ遅れて津波に巻き込まれても、救援活動を待つ間、生存率は大幅に上昇する。
東日本に限らず、全国の海辺の自治体は、できる限り“ライフ・ジャケット”の普及を推し進めてほしい。

自然の力を前に、想定外という言葉が空しく語られる。
危うい巨艦主義に陥ることなく、まずは身近に出来る方法を一つ一つ積み重ねていきたいものだ。
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by tanatali3 | 2012-02-09 14:05 | 雑記

アイリーン

この日記を書いている今も、時おりハリケーンの “しっぽ”部分が、木々の枝を揺さぶりながら、「ゴーッ」と音をたてて吹き抜けてゆく。


日曜の午後、散歩をかねてカミさんと一緒に図書館まで本を返しに出かけた。
ハリケーン一過、昨夜からの激しい雨と突風のつめ跡がいたるところに。
大木や電柱がなぎ倒され、警察の通行止めの黄色いテープが村のそこここに張り巡らされている。

我が家にも昔から棲みついている木が何本かある。見上げるドライブウェイに覆いかぶさる枝が強風にあおられユッサユッサ。わたしの腹の二人分はあろうかという太い枝までギッシギシッときしむ。

ブルーンバーグ市長は、市に乗り入れる公共交通機関を土曜日の昼、全面停止。
通りのバス停から、地下鉄のプラットホームから、人々が消え、いまだかつて見たことのない無人のグランド・セントラル駅構内がTV画面に映し出された。

マンハッタン島は何本ものトンネルがハドソン川やイーストリバーの下を通り、地下鉄も島内を縦横無尽に走っている。
高潮・高波・洪水がひとたび構内に流れ込めば、排水能力の追いつかない状況も予想される。その対策を見込み、早めの決断だったようだ。週明け、何百万人の通勤客への影響を考えると、賢明かもしれない。


図書館への道すがら、歩道の脇を、昨夜からの大雨を大地が吐き出すように湧き水が流れている。
倒木で封鎖された道をくぐり抜け、娘の通った小学校が見える通りにさしかかったときのこと。

通りをへだてて、並木道のとある一本の木に目を奪われた。
小学校と隣の家の間隔が離れているせいか、ちょうど風通しもよく、西日を浴びるスポットになっているようだ。

その一本だけが、すこし恥ずかしげに紅く色づきはじめていた。

夏と秋の境目。
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by tanatali3 | 2011-08-29 10:11 | 雑記

月明りに揺れて

私の住む小さな村では、夏の間、野外コンサートが毎週催される。
月曜日の午後に訪れる義理の両親と夕食を摂ったあと、町の広場に一緒に聴きにでかける。

雰囲気こそ違えど、これは日本の盆踊りに似たようなものかもしれない。
米国ではもちろん七夕はない。それでも7月4日の独立記念日の花火大会を皮切りに、各地の野外コンサート、田舎のファーム・ショー(農園祭り)など、日本三大祭りのような盛大さや華やかさはないものの、過ぎ行く夏を彩る催しは数多ある。

広場の中央に設けられたガゼーボ(庭園などに設けられる休憩所)にオーケストラが収まり、好きな曲が流れると、前に設けられたダンスフロアーに自由に進み出て、社交ダンスを踊りはじめる。

内容は週替わりに、ベビー・ブーマー(団塊の世代)向けの、今ではオールディーズと呼ばれる曲を演奏するバンドや、戦中派向けスイング・バンド、映画音楽・ブロードウェィ・ミュージカルを演奏するオーケストラ、ジャズ・バンドなどなど、多岐にわたる。

西空がゆっくり暮れなずむころ、三々五々、デッキ・チェアやローン・チェアを持参して、自由に広場の芝生に陣を取り、夕べのひと時を過ごす。

私たちの前に座った二人の女性は、持参したサンドイッチやスナックを口に運び続けること20分。座る椅子からはみ出す脂肪の謎が解けた。

また、後ろのおばさんは、ペチャクチャペチャクチャ、会話がエンドレス。
「ランジェリーとジー・ストリング(T-バック)がね・・・」
業を煮やした近くの人々が一斉に「シーッ、シーッ」。
ボリュームが落ち、スイッチが切れた。

日が沈み、暗闇が広場を覆い、見上げる高い木立の合間から星がチラチラ見え隠れする。ビッグ・バンドの後ろにそびえる大木の合間から、月明かりが漏れ始める。

バンド・マスターが「次の曲はグレン・ミラー。グレン・ミラーと言えばお馴染みの・・・」。

こちらの 

バンマス自らクラリネットを咥え、前列のサックス奏者達と絶妙なアンサンブル。

グレン・ミラー・サウンドは、こぼれる淡い月明かりに溶け込んで、わたし達を優しく包みこんだ。

どうすることもできない出来事に苦しむ人たちと、いまこうやって平穏を享受する自分。
いろいろなトラブルが複雑に絡み合う世界。

ほんの一瞬、心が音楽で満たされた。
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by tanatali3 | 2011-08-25 22:21 | 雑記

祖国と娘

高速道路をぼんやり走っていた。
ゆるやかなカーブに身を委ねて、上り坂にさしかかる。
フリーウェイが中空に消え、透きとおる青空をバックに、立ち昇る入道雲の天頂が光り輝いている。

放り込んだCDから、懐かしいメロディーが流れはじめた。
青春時代に耳にしたメロディーは、思い出が滲みこんでいる。勝手にヒョコヒョコ飛び出しては、頭の中を勝手に歩き回る。

娘と交わした昨夜の会話が、突然乱入してきた。
「今年の夏は止めようよ」
「ん?」
「原発事故、収束してないし・・・。来年だっていいじゃない」

いままで、日本への帰省を嫌がったことのない娘だった。
放射線量やその範囲、ヨー素、セシューム、ベータ線とガンマ線、被爆線量など簡単に説明したが、電話越しの娘は、頑として聞く耳を持たないようだ。

娘を夏期講座に送る前夜。
「今年は、お盆明けの八月末に行こう。チケットを予約しだい連絡するから」
話を聞いた娘はいつものように楽しみにしている様子だった。
それが、大学に行って、友達と話をしてからなのだろう。放射能の心配が増幅されたようだった。

電話越しの会話が噛み合わず、もどかしい思いをした。娘は言葉に詰まり泣く寸前の様子が手に取るようにわかる。これ以上の無理強いはまずい。

日本はわたしにとっての生まれ故郷。原発事故が起きようと、戦争になろうと、祖国を愛する気持は変わらない。だが娘にとっては、第二の故郷だ。

いっぽう誰がなんと言おうと、娘は、私にとってかけがえのない、いとおしい存在だ。

いままで、自分の考えを押し付けてきた私だが、今回は娘の気持ちに寄りそいたいと思う。
無理に連れて行くのでは、せっかくの家族旅行が台無しになる。

チケットの予約の取り消しは24時間以内。
旅行代理店に予約キャンセルの電話を入れることにした。
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by tanatali3 | 2011-08-18 13:23 | 雑記

BARBERSHOP 1

髪が長くなったのでいつもの床屋に出かけた。
その床屋は隣町の目抜き通りから少し外れた通りにあって、その手前にもう一軒あるのだが、ここを選んだ理由は、ウインドウー越しに年配のおっさんがハサミでチョキチョキ刈っている姿が見えたからだ。
女性だけの美容室は、気後れするというか、年配のおっさんがいたほうが気楽なのだ。
この店は理髪師が何人も居て待ち時間がほとんどなく、30分もかからない。
席は手前に4席、仕切りの奥にもう一席ある。
奥はこの店のオーナー(中年女性)用なのだろう。
2度ほど彼女にやってもらったが、それほど上手いわけでもない。
いつもは、60過ぎのポーランド系のお婆さんで、鏡の前に娘や孫の写真を飾っている。居ないときは、メキシコ系の女性か、イタリア系のおっさん達にやってもらう。

今日は珍しく、若い女性だった。
年のころなら、20代半ばというところだろうか。長い赤毛の髪を襟足から持ち上げて、無造作にクリップで留めている。レデイー・ガガ風といった感じ。
パンツはロウライズのジーンズに黒エナメルの広めのベルト。丸みを帯びた腰が窮屈そうにはみ出している。腰の線をウエストに沿って見上げると、高い位置で見事にくびれている。
顔は髪が邪魔してちょっとわかりにくいが、よく見ると小顔のゲルマン系の美人。イギリスのパンク歌手として充分通用する。
まるで「うる星やつら」の“ラムちゃん”がコミックから飛び出たようで、アメリカ仕様のため、若干グラマーになっている。
黒地のタンクトップからはみ出た胸の割れ目もすばらしい。ノースリーブでへそ出しの薄地のブラウスと、ブラジャーも薄地?。
肘を上げると、目の前に横向きのオッパイが現れ、先端の乳首がくっきり浮かび上がった。

昔ならば、目を閉じたりせず、会話を楽しんだ。
「どうします?」
「横を短くクリッパーで刈上げて、上は適当に」
「何番かしら?」
「う~ん、どうかな?」
返答に困っていると、となりのメキシコのおねえさんが助け舟をだした。
「4番よ」
刈り始めて、
「う~ん、もう少し短めがいいな」
と言ったら、
「今、上の部分をブレンドしてるの。下はもう少し短くするから」
「ごめん、わからなくて、あっはっは」
「あやまらなくて、いいわ」
「じゃ、まかせるね」
といって、わたしは目を閉じた。

途中、バリカンで襟足を整えるのだが、その痛さに目が覚めた。
まるで黒ずくめの女王が革の鞭を持って、ピシッリピシッと打ち込む感じだった。
これを快感に感じる客もいるのだろうか。わたしはご免こうむりたい。(笑)
隣の男性客が彼女に声をかけて私を恨めしそうに眺めていた。

とりあえず、チップをはずんで店を出た。
奔放でセクシーな魅力は、マリリンモンローに尽きる。
次回は他の人に頼むことにしよう。
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by tanatali3 | 2011-07-03 14:24 | 雑記

昔の香り

カミさんが自然食料品店から買ってきた色々なナッツ類の中で、煎り豆だけが減らないので、それを使って小さいときに飲んだ昔なつかしい代用コーヒーを作ってみた。

一握りの大豆をフライパンにバラバラッと入れる。
徐々に表面が焼けてきたら、フライパンを振りながら均等に煎ってみる。
火加減は焦げすぎないよう、じっくり10分ほどかけて煎った。
色はレギュラー・コーヒー豆より薄いぐらいに仕上げた。

皿に移して余熱を取り、コーヒーミルで荒めに砕き、ドリップ式のコーヒーメーカーにセットした。

スイッチを入れて待つこと2分。紙フィルターが目詰まりをおこした。
お湯がなかなか落ちてこないので、途中からフィルターの器ごと持ち上げて、斜めに傾けながら残りのお湯をろ過した。ただ、急ぐあまり粉も少しまぎれ込んだ。
まぁ、いいだろう。

さて試飲。
コーヒーカップに注ぎ、香りを確かめる。
煎り豆を噛むときのような香ばしさがない。一口ゴクリと飲んでみる。味は子供用の麦芽飲料・ミロに似ていた。

その昔、おやじが買ってきた代用コーヒーは、もうすこし深めにローストした味だったとおもう。コーヒー“もどき”ながらも、コーヒーらしさを追求し、それなりの味わいを出していたようだ。

大豆の場合、軽いロースト仕上げは、味わいは子供用のミロになる。フレンチロースのようなエスプレッソ仕上げをしたら、おそらく苦くて飲めないだろう。

東日本大震災のニュースみていて、ふと子供時代の思い出が甦ったのだが、むかし懐かしい大豆コーヒーを飲みながら、戦後の人々は敗戦のどん底から工夫やアイデアを出して、生き抜いてきたのだとしみじみおもった。

コーヒーはコーヒー豆からという常識の及ばないそんな時代、その代用を工夫しながら、“もどき”の一服を楽しんだのだとおもう。
そしてその味も、高度経済成長時代とともに消えていった。

代用コーヒーとしては、ほかにタンポポの根があるそうだ。
ちょうど季節柄もいい。やってみようか。
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by tanatali3 | 2011-05-12 23:33 | 雑記

以心伝心

人の心は行動にも表れる。

東日本大震災の被災者の方々をお見舞いされる天皇ご夫婦の姿を見て、つくづくそうおもった。

避難所を訪れ、それぞれの被災者の前に膝まづき、同じ目線で声を掛けられる姿を見るとき、なぜか政治家の視察がいかに形式的なものか、対照的に思い出されてしかたがない。

失礼ながらご高齢の天皇陛下が、それぞれ、避難された家族の前で膝まづかれるのである。

昨年、86歳になる義父とゴルフコースを回ったときのことだ。
もちろんゴルフカートで回ったのだが、7番のティーグラウンドでボールをティーアップしようとして、しゃがんだまま、立ち上がれなくなってしまった。すかさず脇から抱えたのだが、それぐらい歳をとると足は衰えてしまう。

ニュースで流れる天皇ご夫婦の映像は、単なる儀礼ではない、心から励まそうとされる姿であることが、見ているこちらにも伝わってきたのである。

こういうときこそ政治家や関係者は、保身を捨て、形式にこだわることなく、我々の目線に立った、心の通う対策を早急に立ててほしいものだと切に願う。
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by tanatali3 | 2011-04-20 11:57 | 雑記

長嶋海峡

外国に暮らしていると、その国の言葉にぴったり当てはまる母国語(日本語)が見つからず、歯がゆいおもいをすることがある。特に住み始めのころは、そういう消化不良に悩まされるのだが、馴れるにしたがい新鮮味が消え緊張感も薄れ、逆に鈍感力が増してくると、語学力の進歩が停滞する。
それでも長く暮らしていれば、突然「あっ、これは日本語で・・・」と的を得た訳語が浮かんだりする。
まぁ語学に限らず物事の進歩が永遠に右肩上がりということはないのだが、ある程度の緊張感は必要なようだ。



「来週は友達とランチなの、誰か友達を誘ったら?」
日曜日の夕方、とはいっても日没(8時半)まで3時間あまり、カヤックを車の屋根から降ろしながらカミサンが云った。

この季節は、二人でよく海に出かける。
日差しは強いが、カナダから張り出した高気圧に囲まれると、木陰はひんやりして湿気も少なく、高地で過すように気分爽快だ。逆にカリブ海の熱波が押し寄せると、蒸し暑くて寝苦しい夜になる。
ロング・アイランド・サウンドと呼ばれる海辺が近いこともあって、ニューヨーク市郊外のオーチャード・ビーチから、隣のグレン・アイランド、ママロ・ネック、果ては対岸のグレート・ネックあたりまで、カヤックで島巡りをする。
運動と余暇を兼ねて、週末のエコなステイケーションというわけである。

この日、カミサンの代役を買ってもらったオーさんは、ここ数年の空手の練習成果が現れたようで、以前のぽっちゃり体型が引き締まっていた。
カヤックを船着場に下ろし、装備一式を取り付け、ライフジャケットのフロントフックを締めているオーさんに訊いた。
「泳ぎはどうですか?」
「すこしぐらいは・・・」
かなり泳ぐのだろうとおもっていたので、意外だった。
私はいつもむさ苦しいのでライフジャケットのフックは締めず羽織るだけである。
「ライフジャケットを着ていれば浮かびますから、万が一の場合でもあわてないでください。浮かんでいれば、流されたとしても、この海域ならどこかへたどりつきます。まぁ今日は、そんなに沖に出ませんから」
といいながら、前部席に座ってもらった。

このカヤックは二人乗りで、櫂(かい)とペダルの両方が使用できるようになっている。ペダルだけでも十分スピードが出るため、ふだんは櫂をほとんど使わない。
ペダルは着脱式になっており、ペンギンの羽のようなヒレを船底から突き出し、左右に羽ばたいてスクリューの役割をする。
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(象牙島)

カヤックを櫂で漕ぎ出してからオーさんに声をかけた。
「ペダルのロック、はずしていいですよ」
ロックされたペンギンの羽は船底にぴったり張り付いていて、ロックを解除することで羽が左右に羽ばたく。
二人でペダルを漕ぎはじめるとカヤックのスピードが上がりはじめた。
「あまり早いピッチで踏まなくていいですから」
最初はどうしても力んででしまうのだ。

ロング・アイランド・サウンド(長嶋海峡)は、マッハッタンから大西洋に突き出たロング・アイランド島(約200km)と本土に挟まれた海域を指すのだが、一年を通して波は穏やかで、ヨットは多いがサーファーはみかけない。

長嶋海峡の最西端。ニューヨーク市北郊外にオーチャード・ビーチという海水浴場があって、真夏は家族連れでにぎわう。
三日月形の長い砂浜をプロムナード・デッキが囲み、この季節ボードウォークをしていると、そこここからラテンのリズムや生バンドの演奏が体に絡みついてくる。テニスコートやバスケットコートは球を追いかける若者の汗がほとばしり、野外バーベキュー場は至るところにハンバーガーやトウモロコシの“のろし”が立ち昇る。へたをすると匂いに釣られて駆け寄りたくなるほどだ。

さて野球場なら4つは入りそうな駐車場をはさみ、海水浴場の裏手に入り江があって、ちょうど真ん中あたりにカヤックとカヌーの船着場がある。
全長3キロほどのこの入り江は、早朝はシングルやエイトの漕艇が行き交い、昼ごろには“カッパの会”とでも呼べそうな、ひたすら甲羅干しのクルーザー横丁に様変わりする。

「右手が自然保護区の公園です」
ときおり釣り人のいる森を眺めながら入り江を1kmほど進む。クルーザーの間を抜けながら、グレン・アイランドのマリーナと公園を正面に見て、その手前を右に折れ、500mほど進むと海原に出る。

波はおだやかで、潮風が頬をなで、口笛でも吹きたくなるような絶好のカヤック日和だった。ときおり旅客機が我々を見下ろすように通過していく。
おきまりの象牙島(適当に命名)に艇をあげ、一泳ぎした。
水温はちょうどいい湯加減で、ウォーターベットにしたいほどだ。

この島の対岸にフレッチャー専用の海水浴場があって、太りぎみの私・・・ではなく、彼を運動に連れてくる。自然保護区の森をぬけて海辺に近づくにつれ、待ちきれなくなったフレッチャーは手綱を放せとばかりにせがみはじめる。放したが最後、弾丸のように一目散に海に向かって走り、岩を蹴って空中で体を一直線に伸ばし、海面にダイブする。そしてグルグル泳ぎ廻りながら早くボールを投げろと催促する。

「あそこですよ」
オーさんにフレッチャー御用達の海岸を指差して、この界隈をざっと説明した。
「シティアイランドからニューロッシェル市まで島は五つ。ハーツ島は1654年といいますから、江戸時代初期にトーマス・ペルという人が現地人から買ったのが始まりだそうで、その後何人かを経てニューヨーク市が買い上げ、刑務所や病院、南北戦争の兵舎やミサイル基地に使い、現在は火葬場と墓地として使われているそうです。近くまで行きましたが、立ち入り禁止の大きな看板や野ざらしのボート、海岸は荒れ果て、ちょっと不気味な感じです。デイビッヅ島は海軍の施設として使われ、現在はニューロッシェル市の公園として整備を進めようという案がでていますが、いつになることやら。野ざらし状態です。まぁ、それぞれの島に色々歴史がありますね」
「そういえば、あのデイビッヅ島は、橋を架けようという話が一時、持ち上がりましたね」

そんな会話を交わしながら、軍艦島(これも適当だが)を経てデイビッヅ島の北側を西へ舵を切った。ちょうど島と島にはさまれ風の通り道になっているのだろうか、風が強くなってきた。はるか行く手には白いさざなみが立ち、岩場があることを知らせている。

最初は小さな波だった。カヤックの横腹を軽く突きあげる程度で20度ほど右に傾いた。そこへ続けざまに三角波が斜め左下から突きあげてきた。カヤックが30度傾き、さらに40度となり、スローモーションのように二人もろとも海に投げ出された。
「ザブ~~ン!!」
海中のクリームソーダの泡を眺めながら、ゆっくり上に浮かび上がった。
カミサンといままで何十回となく沖に出たのだが、転覆などしたことがなかった。だから心配もせず、不意を突かれた形だった。
ライフジャケットのおかげでオーさんも浮かびあがってきた。
「あわてないで、待っていてください」

カヤックに手を伸ばすと、一瞬信じられないことが起こった。
手の先からするりと滑るようにカヤックが逃げていく。まさかとおもいながら、すこし早く泳ぐのだが、ライフジャケットの前が開いているため、思うようにスピードが上がらない。自分のアバウトさが悔やまれる。
逆にカヤックは風に押し流されて、見る見るうちに間隔が1メートル、2メートル、3メートルと離されてゆく。

一瞬脳裏に、「邦人2名、ニューヨーク近郊で水難事故」の見出しが踊った。 
もうのんびり構えている暇はなかった。全力で泳ぎはじめ、がむしゃらに手をかいて、息継ぎも忘れてひたすら泳いだ。
離れかけたカヤックが3m、2m、1mと目の前に迫ってきて、あとわずか50センチというところで、息が切れた。
もうだめだという気持ちが頭をもたげてきて、残る最後の力をふりしぼった。
手に感触があった。
艇にしがみついたときには、息があがってしまい、風に流されながらしばらく体力の快復を待った。

船尾からカヤックの反転はすんなり成功した。
つぎは、海中からカヤックに乗り込むわけだが、DVDで観ただけで、一度も練習などしたことがない。またサーフ・ボードと違い、デッキ部分は海面から30センチあり、上がりにい。下手をすればまたカヤックを転覆させてしまう。船体の横に廻り、後部座席のところで腹ばいのままカヤックに真横に乗りあがる、これがなかなかうまくいかないのだ。
とはいうものの必死にバランスをとりながら、なんとか体を乗り上げた。
次はうつ伏せ状態の体を反転させ、仰向けになり、尻を座席にすべり込ませ90度体をひねって、着席。
頭のなかでイメージをしてトライした。
オーできるじゃないか。
たかがこんなことぐらいと思うかもしれないが、慣れない動作は体力を消耗する。
まるで “たけし城”の参加者になった気分だ。

さぁ、オーさんのいる風上にカヤックを回そうと左に舵を切った。ところが風に船首が流されて、横に進むばかり。オーさんから遠ざかっていく。そればかりか白波の立つ岩場に向かっていくではないか。風と格闘してるうちに、岩場が目前まで迫ってきた。一難去ってまた一難。ドラマの主人公なら、ここで一句。
え~、 “さみだれをあつめて早し最上川”などと詠んでいる暇はない。
覚悟を決めて流されながら櫂で岩を押しながら、すこしガリガリとぶつかりながら、転覆をこらえ、やりすごした。

オーさんも見ていてじれったいというか、アホかと思ったに違いない。
機転を利かすなら、風下に舵をきればいいだけのことだった。
それが、いわゆるパニクってしまい、腕の力こぶがガッチガチ、ほれガッチガチ、いやもとい、頭がガッチガチで機転が利かない。
まぁ、ありていに言うと、早く戻りたい一心がそうさせたわけだ。

すこし落ち着きをとりもどし、遠回りの逆方向から攻めて成功し転覆現場へ向かった。

オーさんは意外に落ち着いていて、投げ出された水筒やサンダルを拾いあつめて待っていた。
初回、風下からのアプローチは風に流され失敗。その経験を生かし2度目は風上からアプローチして成功した。
カヤックに掴まってもらいながら、上がり方を説明する。
五十過ぎとはいえ週一の練習で鍛えているだけあって、腹ばいに上がるところまでなんなく漕ぎ着けた。ところが反転というところでバランスを崩し、「ザブ~~ン!」水しぶきをあげてカヤックもろとも転覆した。
夢よもう一度とカヤックを返そうとするのだが、なかなかうまくいかず、オーさんに船首に廻ってもらい、二人でタイミングはかってひっくり返す。
そして私のやりかたを見てもらって、二度目で成功して、ほっとため息をついた。


その晩、ことの顛末をカミサンに話すと、
「ライフ・ジャケットを脱ぎ捨てて、泳げばよかったのに」
とさめた返事が返ってきた。
「う~~む、必死のときはね、余裕なんて吹っ飛ぶものさ。まぁ、分らないだろうね」

その後、同じ場所を何度か通ったが、その場所だけ風が強く、やはり風の通り道のようだ。なにはともあれ、事故にならずほっとしたが、オーさんには怖い思いをさせてしまい、ほんとうに申し訳なくおもっている。

サーフィンの心地よい緊張感とでもいおうか、そんな気持ちを常にライフジャケットの下にまとっていれば、あわてることもない。いい教訓になった。



「今日は一年分の海水浴を楽しみましたよ」
オーさんの言葉を忘れることはない。
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by tanatali3 | 2009-07-24 14:16 | 雑記