今年は「予期せぬ出来事」の連続だ。 大往生に間違いないのだが、これほど呆気ない幕引きになるとは予想もしなかった。 わずか2か月前、かかりつけ医の診察を経て、病院での検査入院、老健(介護老人保健施設)でのリハビリを経て、介護付き有料老人ホームへ入居したばかり。 来年は100歳を祝おうと云ったのに。 既往症は色々あり、その合併症。体力の限界ということになる。この3年間一緒に旅をしてきただけに、残念としか云い様がない。 長寿を全うし、天国で義父との再会を祝っているだろう。
そんなこともあり、これからノースカロライナで葬儀を済まし、戻って来てから、ゆっくり生前の思い出を編集しようとおもう。
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“The Last Repair Shop”、短編ドキュメンタリー、オスカー受賞作品の紹介。
映像と音響の緻密な編集、楽器修理職人たちが歩んだ人生模様、最優秀賞に選ばれた理由に言葉は要らない。無料で鑑賞できます。40分、ちょっと騙されたと思って御覧ください。 英語のサブタイトルを日本語に直したい場合は、画面下の⚙Settings(設定)をhi左クリック、Subutitles/CCEnglish>の矢印を左クリックして、Auto-translateをクリックしJapaneseをクリック。日本語になります。
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by tanatali3
| 2024-03-28 07:14
| 旅
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昨日入ったピザ屋さんは、コロナ以降、テークアウトオーダーのみだという。テーブルやサラダバーを閉めたままカウンターで注文を受け付ける。 ウォール街の株価高騰はいつまで続くやら、こういうどこでもピザの全国チェーンが桃色吐息、いや?青息吐息。アメリカ経済は、なにかちぐはぐな、まだら模様に見える。
オスカー・ノミネート及び受賞作品を5作観賞した。昨年も加えると8作品。 観終わっての感想は、国民性の違いは如何ともしがたいということだ。40年来感じて来たことだけれど、これは日本に限ったことでもない。
つまるところ興行的に難しければ、劇場公開無しということだ。コロナ以降、映画館も苦戦しているのだろうか。反面ストリーミングでの視聴は可能。 その中の一作品、映画開始から47分、対話シーンの一幕を紹介。
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エージェントが、部屋コーナーの卓上からウイスキーを数本取り出し、作家に尋ねる。 「これはジョニー・ウォーカー・レッド、これは黒、そしてこれが青だ。このメタファなんだとおもう?」 訊かれて答えに窮する作家、そこでエージェントが応える。 「どのウイスキーも同じ会社の商品さ。ブレンドの赤、12年物の黒、究極の青、値段は24ドル、50ドル、160ドル。赤?くだらねぇ、黒はちょっとな、青はいい、けどちょっとしか売れないぞ。結局、みんなただ酔っ払いたいだけなんだ。君の経歴や本は青だ、素晴らしいよ。難しくて、でも一般受けしない、みんな優しいのがいいのさ」 「でも、ダメだって云ったじゃないか最初、君は。そんな安もんは」作家が反論する。 「それが売れる世の中なんだよ。7万5千ドルだぞ」エージェント。 出版業界の抱えるジレンマを端的に説明する会話シーン。
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内容は、エンターティメントとして描かれる典型的な黒人像に、文句たらたらの作家モンク。実名を伏せペンネームで小説を書いてはみたが・・・。アメリカ社会が陥るステレオタイプな判断基準は果たしてどう出るか。 軽妙洒脱なコメディーとして1時間57分、大いに楽しめる。
前半、恵まれた家庭環境、高学歴ながら売れずに悩む作家像が浮かび上がる。よくある家族関係や介護問題、出版業界、映画サイドをちょっぴり皮肉交りに描く。
オスカー主演男優賞にノミネートされた主役の演技もさることながら、脚色・脚本・プロットの組み立て、軽快・絶妙さには脱帽する。 加えて主人公の自然体のスタンスに、共感する場面は多い。 残念ながら日本の劇場公開無し、アマゾンプライム、日本語吹き替えで視聴可能らしい。 オスカー最優秀脚色賞受賞、主演男優賞ノミネート。 #
by tanatali3
| 2024-03-19 05:37
| 映画/ドラマ
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湿気の多い気候はやっぱり向いていない。 日本のモンスーン気候、高温多湿を久々に思い出した。 若かりしころ憧れた、ターコイズ・グリーンの海原と何処までも続く白い砂浜、あれはCMで刷り込まれたイリュージョンだったのか。
フロリダ最南端に行く途中、確かに海原の真ん中を進む高速道路や、作家ヘミングウェイの家、夕日などは一昔前に経験した。 今回はフロリダ州の丁度中間地点、Avon Parに滞在して早2週間。55歳以上のコミュニティーで暖か~い冬をと期待しすぎたのがよくなかった。 土砂降りの後、太陽が顔を出すと、もう初夏の気候で、体がべとつく。日に2回シャワーを浴びることもある。2日前から日中にクーラーも稼働させ始めた。
気候は人それぞれ好みがある。とは言え歳と共に代謝も衰え、べとつく気候はげんなりする。西部はその点、山岳地帯から高原地帯まで砂漠気候の乾燥した空気で、サラサラだ。
スノーバードとして暮すなら、比較検討ファクターは、気候、自然災害、物価指数、アクセス、家族親戚との距離、などだろうか。
云えることは、西部東部どちらも年金者には優しく、安く暮らそうと思えば、如何様にでもなる。日本特有の、不動産信仰を捨てれば、十分に温暖な気候は享受できるのだ。ただ夏は厳しい。もちろん、1カ所定住を否定するものでもない。 ただこの国はそれほど広いということだ。
滞在中のコミュニティーはざっとこんな感じ
1985年開園の若干古いタイプ。大小のマニィファクチァード・ハウス(工場出荷型住宅)とRV用地、合わせて590ユニット、住人は千名弱、55歳以上。 土地の広さは98エーカー(12万坪・東京ドーム9個分)、2つの湖、森林遊歩道、バスケットボール、ビリヤード、バチ、コミュニティーセンター2つ、ドッグパーク、プール2、テニス、バレイボール、シャッフルボード、ピクニックパピリオン、トレーラー保管場所、etc。 初期の家を新築に交換しているとこもろも多い。 コミュニティーの運営はアリゾナの方が熱心だ。
紹介のビデオはウッドデッキの遊歩道が自然保護区の森を通り、湖に出るようになっている。植物の知識は皆無ですが、唯一分かったのは、エバーグリーン(常緑)の松とブナ科のライブ・オークだけ。(涙) Reflections on Silver Lake #
by tanatali3
| 2024-03-11 05:54
| 旅
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“読書は自分との対話”と云われますが、M氏の「思い出すままに」上下巻を読み返しながら、無意識のうちに対話をしていました。 (・・・Mさん、どうですか、そちらは? 戴いた本を読み返して、気がつきました。ニヤニヤされながら、まだ健在でご活躍されると思っていました、見誤りました。申し訳ありません。 ついでに下巻の徹さんと私との場面、ブロンクスじゃありません、ブロンクスビルです。 そうです、あの晩、マンハッタンのホテルからブロンクスを抜け、ウエストチェスターの店に着くころには、とっぷり日が暮れていました。勘違いされるのも無理ありません)
胃癌の摘出手術で残る胃は1/4。25年前でしたか。どの程度食べられるものか心配しましたが、「美味いね~」と普通に完食され、ほっとしました。 それよりなにより、北米最後の旅、帰国前のニューヨークで、お目にかかれて光栄です。
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M氏の書かれた「自分史」を各章ごとに読み返し、それまで抱いていた人物像がいかに薄っぺらであったかを、再認識させられました。
特に総合商社入社後、まだ安かろう悪かろうの時代から、商社マンが如何に海外に乗り出し、高度経済成長を支えたのか、その過程における人生観の変化など、うなづきながら、興味深く読みました。 説教めいたこと、愚痴は一切なし、人の縁がもたらす人生模様を語られています。
僭越ながら、氏の伝えたかった思いをほんの少し、差しさわりの無い範囲で紹介できればとペンを執った次第です。経歴より、むしろ氏の視点や感情、人生観にまつわる話をお伝え出来ればと思います。
取りあえず氏の幼小年期をざっと。
1939年12月4日東京麻布生まれ、5人兄弟1男4女の真ん中。岐阜・長野と2度の疎開を経て横浜に定住。幼馴染の遊び仲間に赤木圭一郎。
小学校では送辞・答辞を務め、中高一貫校・栄光学園では、喧嘩腰の反抗的かつ背伸びした行動で度々注意される、が退学処分は免れる。
クラブ活動のバトミントンは高校3年時も継続、早稲田の法学部・商学部にストレートで合格。“ラッキー”と本人は云うが、それは照れ隠し。
青年期
商学部に入学した当時の新入生は約1000人、女性はたったの3人。半数以上が浪人組、中には親爺面したやつが数人、地方出身者が数多くいました。 …中略・・・ 2年目は市場調査研究会に入会し、調査レポートを取りまとめて提出し、対価を得て、会の財政状況は裕福でした。 調査票の作成や地方で面接による再調査、最終レポートの作成など面白く、一時熱中していました。
英語クラスの連中と「オールタンメンズ」を結成し、親父からは中高時代の仲間だけでなく、全国各地からの学生とも幅広く付き合うよう強く云われていました。 ・・・中略・・・ 入学金は親に出して貰いましたが、授業料や小遣いは自分で稼ごうと思い、封筒の宛名書きを皮切りに、家庭教師、陸送、アメリカ兵の遺体運び、日雇い労働者集め、ヤマト運輸の配送業務の元締め、ダンスパーティー開催などいろいろしました。
最も稼ぎになったのは鎌倉・横須賀の市議会議員選挙での学生アルバイトの元締め。衆議院選挙では藤山愛一郎氏の選挙で元締めをしていました。 横須賀の市会議員選挙で新人ながら最高点で当選した竹内清氏はその後、自民党の神奈川県連会長までに上り詰め、小泉純一郎元首相のバックにいると云われている人です。
早稲田での4年間、アルバイトや遊びばかりに明け暮れていたわけではなく、勉学にも励みました。一般教養課目は休講が多く、且つ点数の甘い教授を選択し、商法1・2、貿易論、貿易実務、商業経済、経済論、商業英語などの専門科目とは真面目に取り組みました。中高時代に遊びほうけていたため脳が空っぽになっていたらしく、自分でも驚くほど授業内容を吸収することが出来ました。 専門科目のほとんどは90点以上の「優」。
小学校担任の高辻先生から色紙に、「散る花を追う事無かれ、咲き出る花を待つべし」をもじって、「来るものは拒まず、去る者は追わず」を座右の銘としてきました。
就職活動
とにかく、夏休みには決めたかったので色々調べて商社に狙いを定め、三菱商事、三井物産、住友商事、丸紅、伊藤忠、日商岩井、大倉商事の7社を仲間と訪問しました。三菱商事からは、10月1日以降でなければ面接は行わない事、学校推薦の取得が条件となる事などを人事部で云われたので、そんな堅いことを云っていたら優秀な学生は他の会社に就職してしまいますよ!と捨て台詞を吐いて早々に退散しました。面接日は丸紅が最初で、住商、物産、大倉商事、伊藤忠の順でした。
丸紅の面接日は確か6月初めで、その日は蒸し暑かったので、Yシャツを袖まくりし、ベージュのスラックス、白のソックス、茶の靴といったいで立ちで面接会場に足を踏み入れた途端、アッと驚き、何だ、こいつら、と思わずつぶやいてしまいました。前日の面接の残りの慶応の学生は勿論の事、当日面接予定の早稲田の学生も一人残らず学生服を着ているではないですか。これはヤバイと思い、市場調査研究会の後輩に電話して、学ランを持って来るように頼みました。
俺の面接予定時刻は刻々と迫ってきましたが、後輩はなかなか現れず、ついに面接の時間が来てしまいました。俺は、服装で落とすなら落としやがれ、丸紅がダメでも他があるさと思い直し、度胸を据えることにしました。5人の重役連中から代わる代わる質問されましたが、難なく答え、時間も15分程度で終わりました。他社の面接には学ランで臨みました。幸い、この頃は景気が良く、求人難の時代でもあったので、受けた会社は全て受かり、各社から印鑑をもって入社手続きを早急に済ませるようにとの電報が次から次に届きました。
俺はなんら躊躇する事なく丸紅に入社する事を決め、人事部に行ったら、課長から「M君は面接の時に足を組んでいたよ。重役連中は君のふてぶてしさが気に入ったみたいだ」と云われてしまいました。更に、夏休みには当社でアルバイトをするようにと云うので、学生最後の夏休みを遊びたいから商社を選んだので勘弁してください、その代り冬休みにはバイトする事を約束しますと云って了解して貰いました。
入社後、日本高度経済成長の一翼を担ったエピソードの数々は、頁をめくる手が早まります。とはいいながらその功績にすがることなく、また時代の流れもあり、後半の人生を歩まれます。それまで構築された人間のネットワークの広さには、驚くばかりです。
規格に縛られないキャラクターの持ち主は、どのような生き方をしたのでしょう。 人生の総仕上げに自分史を上梓され、それまで滞在した北米各地を回られ、最終地のニューヨークに来られて2年後に旅立たれました。 M氏の知り合いがオースチンで健闘されており、次回はM氏を偲んで一緒に話ができればと思っています。その後にでも「思い出すままに」の後半を。 #
by tanatali3
| 2024-03-04 01:21
| 旅
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疲れが溜まってるなぁとつくづく思う。その証拠に気持ちが乗らず前のブログは箇条書きやら自慢話、あぁみっともない。 人間だからそんな時もある。脳味噌が働きたくないのだ。 歳相応に「それでいいのだ!」と言いう声と、「もう少し頑張れ!」という囁きが聴こえる。
日本のお笑いを観なくなって久しいが、松本某がどうの、春分が・・・いや文春が、性加害問題そっちのけで、いつの間にかゴシップ騒動でてんやわんや? マッチポンプ的出版社の販売戦略も、ここまでくると世も末じゃないかと感じつつ、お笑い業界やら、お笑いそのものの再考に繋がるのかどうか、わからん。
アメリカを旅しながら、地デジ(UHF)のニュースを観たりするのだが、地域によっては、よくNHKの“NHK World”という番組を、チャンネルを回していると目にする。世界とアジア・日本のニュースを基本に、お天気・文化・紀行・ドラマなどを英語で紹介している。日本でもスマホやPCで観られるようだ。
ちょっと目にした言葉遊びの番組、義兄が首をひねっていたので、プロデューサーの努力を汲みつつ、もう一ひねりしたらと思った次第。 「泥」にちなんだ慣用句がテーマだった。
及川亭なら、「え~毎度ばかばかしいお噺で・・・、大家さんが表の業者の働きっぷりに、「このきたねぇ壁じゃだめだなぁこりゃ!」「へい」「返事じゃなくて、どうにかならねぇかって訊いてんだよ、壁ってもんはなぁ・・・」「へい」と、すったもんだ。 短気の親方は「俺の顔に泥塗りやがって」と啖呵を切ったその刹那、泥に足を取られて、二人一緒にすってんころりん。泥仕合はやがて泥沼に。怒り心頭の親方は帰り支度を始める始末。そこにおカミさんが駆け付けて“泥をかぶって”丸く収まったというお噺。
佐平治さんや幸兵衛さんには、稚拙な噺で申し訳ないのですが、物語仕立ての脚本にすれば、アメリカ人視聴者にも飲み込みやすくなるのではと思った次第。 新進の噺家を制作陣に加えれば尚上等じゃないかなぁ。
その番組、やっとを探し出しました。 番組MagicalJapaneseは言葉の持つ豊富な意味、慣用句の自然や歴史文化を背景にした成り立ちを”を外人に理解してもらう狙いだそうな。外人視聴者の興味を引きつけながらの番組制作って、難しいなこりゃ。 #
by tanatali3
| 2024-02-22 16:13
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